考察というよりは一通り読み通して見て、これはこうなんじゃないか、という点を自分なりにまとめてみたものになっています。 間違っている点もあると思いますが、気楽に読んでいただければ幸いです。
このコーナーの特性上、読んで頂く前提として『2999年のゲーム・キッズ 完全版』を読んだ人か、 もしくは『完全版』は持ってないけどファミ通で毎週欠かさず読んでたし、ゲームも買ったよ、というような人向けになっています。 予めご了承下さい。
全ての事に付いて考察をしてから公開するとなると、いつまでたっても公開できそうにないので 一段落したところで公開、更新していってます。
2012年9月に別途行った考察のページを作りました。このページの内容を読み返さずに行ったものなので、内容的に矛盾が含まれているかもしれません。2999年のゲーム・キッズ考察 その2
「中央に1本のろうそくをたてた、ケーキのような形」と形容されるあの街の姿はどのようなものなのでしょうか。 大きさについて言及されている点が2つあります。 まず1つは『2999年のゲーム・キッズ 完全版』、ゲーム版「2999年のゲームキッズ」付属の『街のしおり(説明書)』に掲載されている街の地図。 もう1つは「1:5000」内にてジョイスじいさんの作った街の模型が「直径10m弱」と記述されている点です。
この2点から計算すると街の直径はおよそ40km程度。 つまり街の面積は20*20*3.14=1256平方kmとなり、大雑把に表わせば東京都の半分強、大阪府の面積の2/3に相当します。 しかし、実際は人間の住居地区は塔を取り囲む中心部のみで、 円外側の処理施設地区などはスラム化しており人間は殆どいないと考えられ、 1つの「都市」として見るならばもう少し小さくなるでしょう。
また、中心部にそびえたつ「塔」は(誰も本当かどうかは調べたことがないようですが)999階建てと言われています。 その高さを計算するのに、ランドマークタワーの69階展望室が273m、サンシャイン60が240mということなので 1階当たりをだいたい4mとすると、4m*999階=3996m、 それよりも1階当たりが低く、3mとして計算すると、3m*999階=2997mとなります。 とてつもない高さですが、どちらにしても50~60階より上は霞に紛れて確認できないそうです。
また、街の詳しい姿(どのような建物があるか、塔の中はどうなっているのか等)はゲーム版「2999年のゲーム・キッズ」付属の『街のしおり(説明書)』に記載されていますので 気になる方はそちらをチェックしてみてはいかがでしょうか。
999年後のはるか未来、人間たちはどのような存在なのでしょうか。 「シカの話」内に"すべての建物の表面は、僕らの肌と同じにび色だ。僕らの肌と同じように、接合部分にはビスの列が見える。" といった記述があったり、人間の体のパーツを集めて新たな人間を作ったりする話があったりとシカ達は機械化されていることが分かります。
かと言ってあの世界の人間は、機械そのものなのかというと 「シュレディンガーの受付嬢」のオチでの"人間ではなく機械の受付レディーを使う"という記述、 「ロボット」内の"人間そっくりのロボットを作る研究"などという記述もあり、 あの世界の人間は機械やロボットと自分達の存在を明確に分けている様です。
また彼ら人間は機械化されているはずなのにDNA捜査による「未来犯罪防止法」が存在し、 また子供を作る際にも「親2人のDNAをリミックス」ということが行なわれます。 機械であるはずの彼らには何故DNAが存在しているのでしょうか。
推測となってしまうのですが、そもそも何故機械が子供を作る必要があるのかという点から見ると、 リミックスされたDNAを子供に与えるという行動は、ランダムな新たなプログラムを生む カオス・フラクタル・プログラムの例えとなっているのではないでしょうか。 彼ら人間はランダムに生成されたプログラムがまた子供(新たなランダムなプログラム)を作り 最終的には「死を発明」するという、最初にあの世界を作った創造主の願いが形になったものなのではないでしょうか。
そのランダムに生成されたプログラムがつまりはDNAと考えれば、 「本当に人間のDNAから犯罪を起こす確立が分かるのか」といういまいち納得できない考えが 「プログラムから犯罪を起こす確立を割り出す」となると、ある程度信憑性を帯びてくると思います。 こう考えると機械の受付嬢はなぜ機械なのか、シカ達は何故人間なのかという問題に DNA(=ランダムなプログラム)がインプットされている機械が人間、されていない機械が機械という答も与えることができます。
補足としてシカがデパートの店頭でデータをインプットされる前のバッツィーを見て "生命を吹き込む前の存在"と考えている点から(上のプログラム云々はさて置いても) 彼ら人間は意識を持っていない機械は人間ではないと考えている様です。
では機械ではない、いわゆる人間はどこに行ったのかとなると全くの不明です。 機械人間である彼らの思考の中に「普段だったら考えるだけでもはばかられる、神話に登場する創造主」として存在し、 シカが子供を作る際の機械によってのトランス状態(?)でヒトの姿を考えることができた事を考えると、 彼らはある程度の知識としては人間の事を知っているようです。
そもそもこの2つの差は何なのか、というと運命ゲノムは自然界に存在する(というよりはあの街に存在している) それぞれの人の運命はそれ以前の出来事に関連していて、現在の事もまた、未来に関連しているという「一連の出来事」であり、 オペラス理論はオッペンが提唱した世の中の事象の全てをコンピュータにインプットできたなら、 運命ゲノムを解析することができ、永久の未来の事でさえも予想できる(はずである)「理論」のことです。
オッペンは永久運動の研究をしている中で 「完全に閉じられ、物理的にもエネルギー的にも外部とのつながりを持たない世界であれば永久運動が成り立つのではないか」と考えました。 その閉じられた世界の中でも人は死ぬが、しかし死んだ代わりに新しい人が生まれるだろうと。 そのような秩序とサイクルが存在する世界ならば永久運動が可能となり、 永久運動が可能ならば、その世界に存在する全ての物質の最少の粒子レベルにかかっている力の大きさと方向を コンピュータにインプットすればこれから起こる出来事でさえも予想できるはずだ、ということで提唱されたのがオペラス理論です。
オペラス理論自体は(あの街の)物理学の教科書にも載っているほどに認められた理論なのですが、 オッペンが永久機関の研究をしていることが分かると、オッペンは科学アカデミーを除名とされてしまいます。 おそらくは除名となったことで費用、設備等の点で研究が困難になったことは間違いないでしょう。 (個人的にはオペラス理論が認められるくせに、永久機関の研究はダメっていうのは納得できませんが。)
では理論は実際に運用可能なのかと言うと「速達」等、オペラス理論が成り立っている 話があり、「大人になる方法」では塔の学者がオペラス理論は成り立つ(少なくとも塔のコンピュータの中では成り立っている)と言っている以上運用可能とみてよいのではないでしょうか。
また、オッペンは「完全に閉じたループした世界の全体を把握しイメージする事に、 コンピュータは要らず、人間が脳でイメージする事で十分足りる。 この世界自体もそうやって誰かが想像した世界である」ということも言っています。 オッペンが作った永久機関の研究中に作ったあの玩具は いくら中身が真空であっても運動エネルギーが熱エネルギーとして放出されてしまう(理論上の永久機関ではない)ことを踏まえて 玩具よりもはるかに大きい街が永久運動を続けていることを考えると あの街は誰かのイメージした存在であるからこそ永久運動が可能となっているということになり オッペンの言う通りあの街は誰かがイメージした存在であると考えられます。
あの街にはオペラス理論の応用でコンピュータ内に街を再現しようとしている人達がいます。 しかし理論的には可能であっても、実際に粒子レベルで力の大きさと方向をインプットすることは事実上不可能です。 それならと、別の方法でコンピュータ内に街を再現しようと考えた人たちの中には、 全ての粒子をインプットすることができないならば、 時間をさかのぼって宇宙誕生の瞬間の爆発、 ビッグバンを表わす方程式が分かればそこから時間をどんどん速送りしていって現在の街の状況までもシミュレートできるはずだと考えました。 しかし、ビッグバンの方程式を表わす方程式は、現在の粒子の状態をインプットするような複雑さを必要としないので、 コンピュータを使わずに人間の脳で考えるだけで構わないのです。 そうして脳内にもう1つの街を作り出してしまった人がいます。
ここに「イメージされた世界の中」に 「更にイメージされた世界を作る(そしてそのイメージされた世界の中にも更にイメージする人がいる)」という 精神的な無限ループが存在します。
完全なサイクルができていると言われる「街」について、 完全なサイクル=「運命のループ」という観念から各人がどのように思い、 どのような態度を取っているかをまとめてみようと思います。
まず運命のループについて考える前に外せない点としてエントロピーの存在があります。 このコーナーを読んでいただけている以上、 エントロピーについては理解されていると思いますので改めて説明はしませんが 「運命のループ」とは、つまりエントロピーについてを語ったものと言っても過言ではありません。
まず運命のループ肯定の、いわば循環派として挙げられるものに塔が挙げられます。 塔の、特に危機管理庁はジョイスの美術館を サイクルを計算しているメインコンピュータに定義できないため、という理由で 美術館を壊そうとした点からも運命のループに対する断固たる立場を明らかにしています。 そもそもに塔が循環派にまわる理由として、もし「閉じた空間」内でループが崩れたら 不利益がある程度出てくることは想像に難くないでしょう。
次に「運命のループ」を肯定も否定もしない超然派として挙げられるのがオッペンです。 オッペンは自身が提唱したオペラス理論によって運命ゲノムを解析し、 街を時間の流れのない1つの存在としてみることによって、 人間をサイクルから解放された超然的な存在(=神)に進化させようとしました。
そして、運命のループを否定する脱却派に挙げられるのがリセとレイスです。 リセは決められた運命があったとしても エントロピーが存在する以上その運命にはねじれが生じるはずだ、 という理由から運命のループの存在自体を否定しました。 リセのエントロピーの解釈としてシカに「あなたは戦いを始めるはずだわ」と言った点から エントロピーをイコール時間とは考えず、ある程度人間が干渉できるものとも考えているようです。
話が少し逸れましてエントロピーについてですが、 犯罪防止庁所属のレイスによると塔のコンピュータは 計算によって「エントロピー・バランス」を一時停止状態にしているようです。 ただ一個人であるジョイスの美術館を問題にするほど精密な計算をしているようなので バランスは非常に危うい状況であることは間違いなく、 リセの言う通りに人間が運命のループからの脱却を願い 行動に移したならばさほど難しくもなく運命のループを壊す事ができたのではないでしょうか。
話が戻りまして脱却派のもう1人、レイスですが 彼はタネ(=カオス・フラクタル・プログラム)を認める事で運命のループからの脱却を願いました。 それは街のシステム自体を否定することなのですが直にタネに触れた彼は その道を決して滅亡への道ではないと確信しています。
最後に挙げるのが「可能性」内に出てくる 科学アカデミーを辞めて10年経つ老人です(普通に考えればオッペンなんですが)。 彼の残した「エントロピーではない。時間そのものが、逆行しているのだ」という言葉は あの街に住むどの人物の言葉よりも真相に近いものではないでしょうか。 この言葉の前には塔の捜査官と 「エントロピーが存在しているのに現在も人間が複雑な機械として存在し、物理法則を逆行しているのは有り得ない」 といったような会話をしています。
これは一体どのような事を言っているのでしょうか。 単純に考えれば、
といった事になります。 では時間が戻っているとしたらどうなるのかという事を考えると、
という事になります。 あの街では人間すらも機械化されており、 人間自体も「人力化」が進めば有機体としての人間に戻り、最終的な「死の発明」へと近付いている事になるのではないのでしょうか。
また、科学が衰退する事は、塔のコンピュータ(=科学)が司っている「運命のループ」からの脱却とを同義として考える事もでき、 彼がそう考えていたならば(自分は何をしないにしても)ある意味では脱却派になるのかもしれません。
何か結論を出したわけではなく本当にまとめただけになっていますが、 これもまた世界を読み解く上で役に立てば幸いです。
2999年のゲーム・キッズの世界とゲーム機プレイステーションの間には様々な関連があります。
まずは勿論、プレイステーションでゲーム「2999年のゲーム・キッズ」が発売された点があげられるでしょう。 その他にもシカやマリーといった2999の世界に住む人物の名前もプレイステーション関連の名称から取られているようです。 それぞれ、
となります。 他にも、作中に出てくるオペラス理論というものは「オペラス」と「ラプラスの魔物」を組み合わせたものであるようです。 (参考リンク : ラプラスの魔物)
あの街自体も綺麗な真円で中央に穴(塔)があり、プレイステーションなどに使われているCD-ROMと同じ形をしています。 ゲーム版にて街が再生していく際に塔が回転しているのを見られますが、 実際に回っているのは街(CD)の方だとすると(相対的に塔が回って見えていたことになり)、 CDが「再生」されれば街も「再生」されるというダブルミーニングになっているのではないでしょうか。
街自体をCD媒体の「ゲーム」と見ればあの世界は人間に作られた「プログラム」であり、 運命のループは昔のゲームにありがちだったエンディングの存在しない「無限ループ」を模したものだともいえるでしょう。 シカ達が機械人間が私達人間を知ってはいるが、どこに行ったかは知らない理由も "人間によって作られた存在ではあるが人間はプログラムの外の世界に存在しているから"という答を与える事ができます。 また、あの街自体がゲームを意味しているとすればプレイステーションでゲーム「2999年のゲーム・キッズ」が発売されたということも、 「プレイステーション」というゲーム機で 「2999年のゲーム・キッズ」という「ゲーム」と「(ゲームの形を模した)世界」を再生するという2つの意味を持ってきます。
オペラス理論は世界は数え切れないほどのプログラムから出来た「ゲーム」だという事を認め、 プログラム自体を理解、操作することによって自身を「ゲーム内のプログラム」から「プログラムの創造主」へと進化させる事だともいえるでしょう。
「プレイステーションとの関連性」内に書かれている内容は一部、無名草子さんの発言内容を転載させていただきました。
2999年のゲーム・キッズのテーマはおそらく無限ループではないでしょうか。 永久機関の無限ループ、時間が逆に戻る時間的ループ、 街の外側、内側(ジョイスじいさんの美術館)の空間的ループ、イメージされた世界の中のイメージされた世界という精神的ループ。